東北地方太平洋沖地震

まずは被災にあわれた方に、この度の被災に対し、心からお見舞い申し上げます。

私は都内で勤務しておりましたが、ビル7階においてこのような規模の地震を体感(震度5強)したのは初めてであり、今後のクライシスマネジメントとして、この記憶・感覚を忘れないよう記しておこうと思う。

地震発生時】
微かな横揺れを感じる。この横揺れは次第に強くなる。
「揺れてるね。まるで、飛行機で気流の影響で揺れているみたいな感覚だね」
しかし、予想に反して、その揺れは強まるばかり。
窓のブラインダーが左右にゆれ、ガサガサと音が激しくなる。
椅子に座っていると、揺れが激しくなり、机にしがみつきたくなる感覚。引き出しが自然に開きそうになる。
「机の下に入らないと!」
席の周りで、自然と声が上がる。
スマートフォンを手にしてから机の下にもぐる。
机の下にもぐりながら、引き出しを片手で押さえる。すると、書類がバサバサと床上に落ちる。机の中央部においてあった栄養ドリンク剤が床上に落下。その後、すこし激しい音がする。
(PC用モニターが倒れたな)
机の下にもぐっても、強い揺れは勢いを増すばかり。しかも長い。
(もしや、東海大地震がとうとう来たのだろうか。これが東海大地震なのか??)
自然に、引き出しを押さえる右手と上体を保つために大腿部に力が入る。それにしても揺れが長い。
心なしか、窓がわの壁からミシミシと音が聞こえる。
(このビルは倒壊したりしないだろうな)
「この揺れ、やばいっすよ、まじで」
声が聞こえ、周りの状況が気になる。
ドスンと大きな音。何かが倒れたようだ。誰にも当たってないだろうか・・・。
隣の席の女性社員が少し顔を見せる。
「大丈夫?怪我してない?」と聞くと
「だ、大丈夫です」との返事。
明らかにこわばった顔。こちらもこわばってる顔かもしれない。できるだけ、リラックスした顔をするように努めなければ。緊張は人に移る。
揺れがおさまってきた。左手に握り締めたスマートフォンYahoo! Japanを見ようとしたが、接続できない。通信制限か。
周りが机の下から顔を出す。緊張感が漂う。
「宮城沖だ!宮城沖!宮城で震度7!」
東海大地震ではないのか?宮城沖の地震がここまで?しかもここまで揺れるの?)
驚きしかない。周りを見ると社員に怪我はないようだ。
大きな音がした原因は、キャビネットが倒れたからだった。通路に倒れたので、有志で壁脇に移動させる。キャビネットの中身が空っぽだったためみたいだ。
すぐに床上に散乱した書類を回収。なんとなく余震がすぐ来るような気がして、紙のBOXを備品棚から持ってきて、落ちた書類を纏めて入れ、机下の脇に置く。転がるものについてもすべて机の下に。

置いた途端に、また強い揺れが起こった。

【家族への連絡】
ソフトバンクスマートフォンから妻にメールをしようとしたが、送信できない。SMSもMMSも。使えない。会社のメールアドレスに妻の会社メールアドレスから連絡があり、無事を確認。
一方、両親への連絡が取れない。ソフトバンクのメールがどちらも送れない。会社IP電話からも電話ができない。もちろん、スマートフォンからの電話もできない。ライフラインだけでなく、通信手段の必要性も痛感した。

【帰宅】
JRが全線運転中止。当初は、「ここ4〜5時間は」という表現であったが、おそらく終日無理だろうと推測。
徒歩で帰った場合の所要時間を検索。ルート、時間帯を熟考。
多摩川を越えるため、橋の点検が行われている可能性あり。タクシー・・・付近は困難。徒歩でしばらく進んでからとしても、一般帰宅時間とぶつかるため乗車は困難だろう。
ということで、会社泊を選択。
会社では宿泊対象者に対し、簡易夕食を無料提供。非常に助かる。
会社の椅子を3つ並べた簡易ベッドで就寝。
新潟、長野の地震で目覚める他は、熟睡。
6時前起床。7時よりJRがある程度(3〜5割)回復するとの情報入手。
在来線は混雑することを考慮し、新幹線を利用して帰宅。